令和2年5月28日掲載

ウイルス学エピソード

(4)ウイルス感染症とワクチン開発―その2

ワクチン開発やその接種プログラムに政治が強引に関与した場合に、良い結果を招かないほうが多いです。今回は政治的決断が効を奏したポリオワクチンについてのお話です。

終戦後ポリオの流行はあっても、不顕性感染率が高く麻痺性ポリオの発症率が感染者の数百例に1人と低いせいもあってか政府も多くの研究者もあまり関心が高くありませんでした。ところが1960年、全国の届け出患者数が5606人というポリオの大流行が発生しました。1961年になると春前から九州と北海道でポリオの集団発生が相次ぎ、ポリオの恐怖が母親たちを脅かしていました。

国立感染症研究所 感染症情報センター

厚生省では米国ですでに承認されていたソーク(Salk)博士が開発した不活化ポリオワクチン(ソークワクチン)の認可に向けて必要な試験が進行中で、1961年には国産ソークワクチンが200万人分生産される予定でした。一方ソ連ではセービン(Sabin)博士(米国)が開発した生ワクチン(経口生ポリオウイルスワクチン)を採用し、大きな成果をあげていました。ソークワクチンは接種者本人の発病は抑えられるが、効果的な腸管免疫を誘導できず腸内でウイルスは増殖するため流行を完全に断ち切ることはできないという欠点がありますが、生ワクチンは感染様式が自然であるので流行の阻止にはより適しています。1960年のポリオ流行が収束する時期になって、日本ウイルス学会は1960年12月に「弱毒性ポリオウイルスワクチン研究協議会」を結成し翌年2月に生ワクチンの原液を輸入し研究が開始することとなりました。

しかし、1961年5月、6月になるとポリオ症例数は増加し、前年の勢いに劣らない流行が危惧される状況となり、「子を守る母親の会」を中心に「生ワクよこせ」の激しい運動が沸き起こったのです。ワクチンの科学技術的な政府の諮問機関である国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)に熱心な母親たちがバスで乗り付け、関係幹部職員らに「生ワクチン早期実施」を訴えました。責任者らは生ワクチンの副作用の研究も十分ではなく臨床試験の必要性を訴えて母親たちを説得しようと努めましたが聞き入れられなかったのです。やがてこの運動は国会に及び、古井厚生大臣は合法論「生ワクよこせ」の板挟みとなり、「事態の緊急性に鑑み専門家の意見は意見としても非常対策を決行しようと考えた矢先これらの方々もこのことに理解の態度を示してくれたことは何ほどか私を勇気づけた。(生ワクチン導入に関する)責任はすべて私にある」という談話とともに異例の「全国民を対象とした臨床試験」というウルトラCに踏み切りました。1300万人分の一斉投与は世界的にも稀であり、行政としては一種の「賭け」でした。しかし、この決断が効を奏して、ポリオの発生は激減し大成功をもたらしました。

その後、生ワクチンは世界のポリオ流行の制圧に大きく寄与しましたが、生ワクチンには弱毒株の宿命である病原性の復帰という問題があり、ワクチン由来ポリオウイルスによるポリオ流行の原因となる事例が発生しました。そのため、流行のなくなった先進諸国は不活化ワクチンを定期接種として使用するようになり、わが国でも2012年9月に不活化ワクチンが定期接種に導入されました。2013年以降、経口生ポリオワクチンの国内生産実績はゼロです。

神奈川県衛生研究所長
髙崎 智彦
(図:木村 睦未)

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